月下の孤獣 5
      



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ヨコハマの守護者、薄暮の武装集団との異名もつ“武装探偵社”に
微妙なご縁から新人として迎え入れられた芥川青年は、
物心つくころから妹と二人きり
頼るものもないまま暮らしていた貧民街から脱出したはよかったが、
その異能、黒獣を操る“羅生門”に何故だか目を付けられてのこと、
ヨコハマの裏社会を牛耳るポートマフィアから狙われる身となった。
攻撃系の異能は擂鉢街に居たころから発現していたので噂くらいにはなっていただろが、
まだまだ威力も制御も不安定で、
本格的な反社会勢力から狙われるほどの代物でもないのになぁと思っておれば、
どうやら向こうの側に裏事情があったよで。
海外から来た組織がとある異能を持つ存在を探しており、
その条件に合うのでと、懸賞金70億目当てで狙いを付けられたという順番だったそうで。
そういう背景が判ったそのまま、新たな刺客に襲われてしまい、
不覚にもその身を攫われてしまった黒獣の使い手殿。
さすがはポートマフィアで、貨物船にて取り引き現場までを航行中と告げられ、
交渉が済むまで大人しくしておれということか、
夜叉の異能を操る少女との対峙になだれ込みかけたものの、

 【 鏡花ちゃん、そのまま止まってっ。】

対峙に水を差すかのように、少女が首から提げていた端末へ
不意に掛かってきた通話は これまで彼女への指示を出してきた存在か。
少なくとも、今の今 頭上から大声放った存在からのものではなかったらしく。
途中で不意に耳から離した直後に、どこかから投げかけられたその声の主を
どこだどこだと探して見上げた空の彼方、
上空にいきなり現れたヘリから身を乗り出した白の青年を見て、
何で此処にと言わんばかりに目を見張った和装の少女であり。
彼女にしてみれば、今から向かうのだろう沖合いの取り引き現場とやらで
懸賞金を掛けたとされる依頼相手へ芥川を渡してしまえば、
この案件に関しては終止符を打てると思っていたのだろうから、
そこへと地続きな場に この青年が来るのは悪い状況でしかないのだろう。
向こうも向こうで緊迫した表情でいるところから察して、
此処までの運び、この少女の一方的な行動だったか、
少なくとも 彼へは流れが伝わってはなかったそれだったらしいことが窺えて。
こちらの切り結びの状況が見えていたからこその性急そうな声掛けは、

 『鏡花ちゃん、その人を斬ってはダメだっ。』

完全に“制止”というそれだったので、他にもいろいろと齟齬があるらしいなと感じ。
自身の異能を柱か杖代わりにして、
少女からの猛攻から やや中空に身を避けていた芥川。
そんな自身の頭上と足元という上下で会話を交わすマフィア陣営の二人なのへ、
人事不省だったこともあり、一体どういう事情や展開の末のことなのかよく判らないものの、
とりあえずは黒獣を緩ませ、甲板の一角へと降りたって様子見と構えることとする。
標的だった存在のそんな動きへも意識を払わぬほど、
黒髪和装の彼女はただただ上空のヘリを見上げているばかりだったし、

 「……っ。」

ヘリのローターのせいでだろう、
銀の髪をもみくちゃに掻き乱す凄まじい旋風の只中に居ながら、
彼もまた真摯な様子でこちらを見やっていたが、

 ふと

結構な高度があったところから その身を宙へと躍らせ甲板へ飛び降りてきたから物凄い。
気が逸ってのことかそれにしたって無茶をする。良い子は真似しないように。
ようよう見やれば、かなりの重装備だった長外套という黒装束じゃあなく、
白いシャツにサスペンダで吊った七分丈のクロップドパンツという軽いいでたちで、
変装なのか細い目のネクタイまでしており、
普段の姿との差異にか、和装の少女も目をぱちくりと丸めておいで。
後で訊いたら、地下鉄で一緒になった与謝野さんが、
爆破にもみくちゃにされた痕跡も生々しい
あちこち ぼろぼろな格好では動きにくかろうと着替えを用意したらしく。
簡単なものでという申し出があったのと、
万が一にも共に行動しているところを他人に…裏社会の人間らに見られては
与謝野に疑いが掛からぬとも言えぬからと、変装も兼ね印象がまるで違う格好になったらしい。
このような大胆な活劇には要領が身に付くほどに覚えのある彼なのか、
途中で旗を揚げるポールやら煙突の壁やらに手を当てて減速しつつ、
最終的には脚への反動もないかのような けろりとした様子で着地したそのまま、

 「鏡花ちゃん。親方が戻っておいでって。」

そんなお声を掛けながら 和装の少女へ小走りに駆け寄ってゆく。

「ボクが根気よく説教、もとえ、説得したから、任務自体を取り消すって。
 だから叱られたりはしない。
 そもそも、太宰さんを攫って来てっていうのがお仕事だったんでしょう?
 その後の付け足しは、実は他の人が気を利かせたつもりで設けたものだったんだって。」

何だかところどころに物騒というか不穏なワードが入り混じっているものの、
これで大ふざけではない物言いなのらしく。
さっきまで真摯に殺意を絞り上げていたお嬢さんが、
それ以上の素のお顔、一言も聞き漏らすまいという真剣さで彼を見上げて聞いている。

 “…太宰さん?”

芥川にも覚えのある名前が唐突に出て来て “ンン?”と眉を寄せたが、
口を挟む間ではなしと黙って見守っておれば、

 「…他の人?」

ちいさな、そう仔猫や小鳥のようにかくりと小首をかしげる和装の少女で。
彼女には彼女の立場から やはり合点がいかない箇所があったらしかったが、
にっこりと頬笑む相手の様子にほだされたか、うんと頷いて得心の様子を見せる。
それからおずおずと訊いたのが、

「敦は?」
「? ああ、怒ってなんかないさ。こんな遠くまでほぼ一人でよく頑張ったね?」

張り詰めていたのはやはり、
たった一人でこのような面倒な仕事を手掛けるのは初めてのことだったからなようで。
先程いきなり鳴り響いた携帯端末を通す格好で指示を出す“誰か”はいたようだが、
芥川には地下鉄内で聞いたふざけた放送の男の声くらいしかその存在の気配は見えなかったほどだった。
いくらマフィアの人間であれ、
この幼さで此処まであれこれ大仕掛けなことの実行にあたるのは相当に大変だったに違いなく。
やっと解放されるという安堵に全身が緩んだか
細い肩や腕が目に見えて震えていたのが、
芥川にしてみれば ひどい目にあわされた側であったが、それでも何とも気の毒に思えたほど。
自分がそうなのだから、
保護者ポジションらしき白の青年にはもっと いたいけなくも愛おしい様子に映っているらしく。
壊れ物のようにそおとその手のひらを少女の頭に添わせると、

 「もういいんだ。このお務めはこれでお終い。」

そうと言って頭上を見上げる。
彼が何の装備もないままという乱暴さで飛び降りて来たのは、気が急いていたからだけではなかったらしく。
コンテナをぎゅうぎゅうと積み上げた甲板に降りることは敵わぬか、
上空を旋回するヘリはそれでも可能な限り高度を下げると、そこから降ろされたのが金属製の鎖ばしご。
縄梯子のような構造なのだろう、旋風に振り回されては躍ってよじれ、
危ないほど暴れるそれを難なくはっしと捕まえて、
さあと和装の彼女へ上るように勧める白虎の青年であり。
大きく開かれたままな開口部からは、
あの最初の対面時に居た樋口という女性が
機内に命綱でもつないだか、頑張って身を乗り出して手を伸べており、

「さあ、一足先に戻るんだよ?」
「敦は?」

和装にようよう慣れているものか、
袂から取り出した着付け用らしき紐で
自分の膝辺りを着物の上からくるりと縛ったのは裾が乱れぬようにするためか。
そんな手際の良さを見せたものの、見送るような態度の彼に気付いたか、
やや不安そうな顔になったのへ、

「ボクにはまだちょっとやることがある。先に戻って親方にお話を聞きなさい。」
「でも…。」
「こんな段取りはずるいかも知れないけれど、
 鏡花ちゃんが戻ったことを親方から報告されないと、今日中に戻るぞと紅葉さんが怒っておいででね。」

部外者には何のことなやらという話だったが、鏡花には十分通じたらしい。
うんうんと大急ぎで何度もうなずき、
手甲を付けた小さな手をのばしてはしごに掴まれば、その身を敦がひょいと持ち上げる。
足元がやや不自由だろうにコツが判っているものか、
するすると登ってゆくところはなかなかお見事で。
どうやら芥川が思っていた以上の練達だったらしいなぁと感心しておれば、

 「さあ、次は君だね。」

少女が無事にヘリに収容されたのを見届けてから、
やや距離があったところで傍観者のように立っていた砂色外套の探偵社員へ、
それは柔らかく頬笑んだ虎の青年は、
目新しい身なりの腰の部分に装備していた小さめのボディバッグを取り外し、
そこから晒し布やらパックされた保護用シートやらをごそごそと取り出し始める。
さすがに空気扱いはされなかろうと思っちゃあいたが、
そんな方向でのお手間を掛けさせるわけにもいかず。
“いやいやいや”と手振り付きで尻込みすれば、

「こんな場所での傷を舐めてはいけないよ?
 一応は防水シートで保護しないと、
 傷口に塩水ぶっかけるなんて拷問にもあるくらいでそりゃあ痛いんだからね。」

ニコニコと笑いながら怖いことを言い出す彼で。
やっぱり手際よく外套を引き剥がし、
シャツごと切れていたあちこちの患部を消毒薬で手当てして、保護のためだろう防水シートを貼ってゆく。
腕や脚、肩口などの手当てが済むと顔をじっと見やって来、
手が止まったのへキョトンとして見せれば、

「いい面構えになって来たね。」

そんな風に言って苦笑する。
手当てをされている身として大人しくしていたものの、その口調にはちょっと引っ掛かり、

 「偉そうだな。」

何がどうというのは足さなんだ。
酷い目に遭わされたがそもそもマフィアだ、扱いが手荒でも文句を言う筋合いじゃあないかもしれぬし、
手当てされてるくらいだから笠に着るのは順番がおかしいかも。
そういうところが自分でも複雑な心境だったため、
ちろっと睨んだだけにしておけば、
どちらかといや腰が低かった虎の青年、そこは及び腰になりもせずで、

 「そりゃあね、今のところはまだまだボクの方が上だもの。」
 「う…。」

余裕たっぷりのお顔で断言され、
先日は大きな虎に転変したこの彼との対峙の圧迫に飲まれて気を失いもした事実があるだけに、
ぐぬぬ…と言葉に詰まってしまうところがまた素直だなぁと、
武士の情け、口には出さずに微笑ましいと噛みしめる敦だったようで。

 さっき太宰さんって…。

 ああ、君らの陣営くらいはちゃんと把握しているさ。
 手ごわい人たちだし裏社会でも有名だからね。

ふふと小さく笑って、一枚ずつ梱包されている防水シートの封を剥がしつつ、
付け足すように呟いたのが、

「この船は沈むよ。
 色んな意味で取り引きの場まで航行させるわけにはいかないから沖合で沈める。」

航行ルートは所管の役所関係へ届を出してなくたって調べようはあって、
あと辿りされてつながりを突き止められては面倒なので、そうと処理するように段取りを組んでいるらしく。
それにしたって空き缶でも捻り潰すような言いようで結構な処断であることよと眉を寄せて聞いておれば、

 「キミにも迎えが来ているからそちらへ移りなさい。」

頬に防水シートを貼ってくれつつ、人当たりの良さそうな笑みを浮かべて、
虎の青年はそうと言う。

「迎え?」
「うん。地下鉄での騒動で君んところの与謝野さんと一緒してね。
 ボクが地下鉄車両ごと連れ去られた君の行方を追うの、付き合ってもらってたし。」

え? なにそれ?と、
自分が人事不省だった間のことまでは知らない芥川がギョッとしているのへくすすと朗らかに笑い、

「その後までも打ち合わせがあったわけじゃあないけれど、
 空から君んところの高速艇が此処へ一直線しているのが見えてたからね。」

喫水が高すぎるし、航行で立つ波にも邪魔されて接舷はおそらく無理だろうねと状況を説明してやり、
手当てが済んだ芥川を連れて上甲板へと移動する。
自動航行で推進しているらしく、結構大騒ぎしたのに他に乗組員は居ないものか 人影は全くない中、
やや離れた水上を並行して追随している小型クルーザーの船影があり、
船首側の甲板には潮風に髪や衣紋をひるがえしつつ立つ与謝野女医の姿も見える。
こちらが二人でいるのに案じる様子はない、むしろ お〜いお〜いと手を振る様子を見、
この彼と女医せんせえが共に行動していたというのは本当らしいなと納得しておれば、

 「そこの救命ボートを持ってっていいから、キミの異能で何とかして降りなさい。」

言うが早いか 拳を振り上げ、
それなりの装備で振り飛ばされたりしないよう固定されてあった小船を
船端から力技でむしるところは見かけに寄らない乱暴者なようで。
おおうと驚く黒獣の青年を ほらほらと追い立ててボートに乗せ、

「さっき黒獣を杖にして宙に身を持ち上げてたでしょう?」
「あ…。」

まだそこまであれこれ使えてはなかったらしいのへとヒントを出してやれば、
そこは自分の異能だ、要領のようなものを算段するのも早く。
外套の端から結構強靱そうな帯状の黒獣とやらが伸びて来て、
ボートの装具にくるんと巻き付いてから外へと延びる。
その先端が甲板と船端へ楔のように突き立つと、そのままボートを浮かして
エレベータかビルの窓ふき作業用のゴンドラよろしく、結構な高さをするすると海面に向けておりてゆく。

 「……大したもんだなぁ。」

こんな使い方、恐らくは今初めて試したのだろうに、
自分の腕の延長みたいにボートを浮かせの支えのと、
なかなか見事な応用っぷりで。
降りてきた脱出ボートに気付いたものか、
高速艇の方も何とかにじり寄ろうと近づいている動きを見届けてのさて。

 「……。」

潮風になびく髪、頬に掛かるのをくすぐったそうに指で除け、
その手でクロックスパンツのポケットに手を入れて、取り出した自分のスマホを操作した敦は、
身を起こし、くるりと背後へ振り返りながら、

 「出て来たらどう? βさん。」

そうと一言、くっきりと言い放った。






to be continued.(20.07.28.〜)


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 *実は…という裏の段取りがありましたようで。
  あんまり賢くないおばさんなのであれこれ企むのは骨が折れます、クスンクスン。
  ややこしいお話ですいません、まだ続きます。